パラリンピック出場までの道のり

上山友裕

三菱電機株式会社 / リカーブオープン男子

私はリオデジャネイロパラリンピックで7位入賞という結果であったが、出場までも非常に苦労した。

2015年の4月にアメリカで行われた大会で国際大会初優勝をした。そのままの勢いで一気に決めてしまおうと思っていたが、スランプに陥っており調子の波が激しくなっていた。
不安な状態で5月初旬に行われたリオ枠取り大会である世界選手権の日本代表選考会をむかえ、まさかの落選をしてしまう。一方で、5月中旬にはヨーロッパの試合で6位入賞をするなど非常に調子の波が激しくなっていた。
そして5月下旬には父親が事故で急死してしまう。
今までいることが当たり前で、最近はあまり話をしていなかった父と突然二度と会えなくなってしまったということが、私にとって一生消えることのない傷となってしまった。
いつもはすぐに切り替えることができるが、ずっと切り替えることができずに2015年を1度も日本代表としてリオの枠取りに参加せず終えてしまった。身体が気持ちをカバーできずに半年以上も過ぎてしまった。
この時点で私は2016年6月にある世界最終選考会で3位以上という結果を残すことしかリオへの道は残されていなかった。
2016年1月1日から父親のことで他人が自分に振ってくるややこしいことを全てシャットアウトして、無理やりアーチェリーに集中できる環境を作った。
「あと半年、後悔のないよう思いっきりやろう」という気持ちで今まで以上に練習量を増やし取り組んだ。
そういう姿勢でいると、きっかけを与えてもらえれば一気に伸びる。私の場合は近畿大学でコーチをしている金清泰コーチに1日見ていただいた。私自身もこんな恵まれた機会は二度と来ないと思い、たくさん吸収しようと思っていたが金コーチは私の大きく外してしまうミスに着目し、フォームの変更を提案してくださった。この時期のフォーム変更は自分にとって大きな挑戦ではあったがあと半年という期間、フォームを変更しなければ同じことを繰り返すと思い、取りかかった。3か月である程度の形となり、点数も安定してきた。残り3か月となった時点で今度は追手門学院大学の吉永コーチに道具のセッティングを指摘され、しっかりとチューニングを行った結果、世界最終選考会寸前に行われた国内の試合で世界新記録まであと3点と迫る日本新記録を記録した。
世界最終選考会は周囲の過度な期待を避けるために信頼のできる人にしか日本新記録の話はしていなかった。当然のように予選ラウンドでは1位で通過し、周囲が驚いていたことは今でも鮮明に覚えている。しかし、まさかの準決勝で負けてしまい3位決定戦に回ることになった。「勝てばリオ、負ければ何もない」そのような状態でも上手くコントロールでき、最後の1本は10点満点で勝ち、9点で同点という場面であったが10点満点で勝利した。
試合が終わった瞬間に身体から何かが抜けていく感じがあり、歩けるかもしれないと思うほど軽くなった。それと同時に何の感情かわからない涙が出てきてテレビカメラの前でも非常に困ったが、そこはあくまでも通過点で達成感ではなく、おそらく全力でやった結果が目標を達成した時の安心感だったと思う。

半年という期間であったが全力でやっていると、世の中にたくさん転がっているチャンスというものに気づくことができ、そのチャンスを必ずものにできると思う。

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