節目で勝つ

三宅諒

フェンシングステージ / フェンシング日本代表

2012年のロンドンオリンピックに出場したい。
この決意をしたのは2011年のことだった。

私は、周囲からアスリートらしくないと言われる。あながち間違いではない。
子供の頃から運動が得意ではなく、泳げば沈むし、走ればすぐ脇腹が痛くなってしまう。
きっと運動に向いていないのだ。それでも私は2012年のロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した。
それはアスリートにとって必要な資質に気づき、それを大切にしてきたことに起因する。
みなさんには運動が苦手な私がどのようにしてオリンピックに出場しメダルを獲ったのかを話したい。

5歳のとき、親に手を引かれスイミングスクールへ通うが、水とは仲良くなれずすぐに飽きてしまった。当時の私は内気な性格で親に辞めたいのひと言が言えず、スイミングから離れられずにいた。
1年ほど続けてみたが、やはり我慢の限界は来るのである。そして何とかしてスイミングから離れるべく小さな頭を振り絞って考えた作戦が「違う競技を始める」という単純なものだった。そのスクールは様々な習い事を扱っており、フロントにはそれらの写真が展示してあった。そして子供ながらに棒を持って戦えるから、という理由でフェンシングを選んだのである。
つまり、私はスイミングから離れるためだけにフェンシングを始めたのだ。

そんな私だったが、意外にもすぐに結果が出た。
習い事ベースで始めていたため、大きな試合に出ようという発想はなかった。そのため市民大会を運動会で行う、お遊戯発表のような感覚で参加していた。ところが、結果はいつも2位か3位だった。
それもそのはずで、参加人は6名、その上男女混合である。そのときから身長は高く、腕が長かったため比較的勝つことができたのだ。
このように、ある種の親へのアピールとして大会に参加し何となく勝負をし続けていたのである。

しかし、転機は急に訪れる。
小学4年生のときに初出場の全国大会で準優勝してしまったのである。
素人同然の私が偶然にもトーナメントを勝ち上がり、まさに時の人となった。
それにより、周囲の対応が変わる。あたかも昔から強豪選手の取り巻きであるかのように振る舞うのである。
ベスト8に入ったときには今まで与えられたことのない数のスポーツドリンクが手元に届いた。そしてベスト4に入ると数人の保護者がタオルやうちわで私を扇ぎ出したのである。世が世なら大王だっただろう。
そして、準優勝という結果をいただき意気揚々と家路へと着く途中にある錯覚に陥るのである。

「次も勝たなくてはいけないのでは?」と。

そこからの練習の質が変わる。以前のように、習い事として時間を過ごす練習ではなく、どうすれば前回のように勝てるのか。という考え方に切り替わった。次の全国大会こそ3位だったものの、6年生のときには優勝することができた。このとき、必ず節目には優勝しようと心に決めたのである。
節目というのは、そのカテゴリーの最年長のことで、小6、中3、高3、大4のことである。小6で優勝できたのだから、中3でも優勝することはできるはずだと自然に思うことができたし、実際にそれを実現することができた。高3のインターハイも無事優勝することができた。これは私にとって誇るべき経歴でもあったし、一つの恒例行事のようなものでもあった。私の中では、節目で勝てないということはありえない、と思えるまでになってきていた。

そして、この時期からナショナルチームに入り日本代表としてシニアの試合を転戦することとなる。
とても刺激的だった。今まで練習のために日本代表選手の方達と戦うこともあった。そのときは、大人との力の差に怯んでしまうことがあったが、世界はそれよりも更に上という印象だ。歯が立たない。
しかし、大学生になることで経験値を増やし、フィジカル面でも力が付くことで、海外の選手とも戦えるようになりランキングも上位に入れるようになった。

だが、それを2年ほど続けたある日ふと思うのである。
「一体節目はどこにあるんだろう?」

今まで節目を大切にしていた私には目標が消失してしまったかのように思えた。
今まで小さなチェックポイントを頼りに少しずつ向上してきたが、今はシニアという漠然としたカテゴリーに放り出され、優勝という実感のない言葉に向けてただ歩いてるという感覚だった。これでは勝てない。
小学生から常に勝つことを期待されて、それに応えて次も勝ちその次も勝つあの頃とは圧倒的に違う。
これを続ることで、2年後に控えるあのオリンピックに出場することができるのだろうか。

そのとき、始めてオリンピックという言葉を意識したのだ。今までは、アスリートに生まれたからにはオリンピックを目指そうという風潮に流されトップを走ってきたが、その気持ちで出場できる大会ではないということをそこで実感する。では、どうすればオリンピックに出場することができるのか。簡単である。

節目で勝てばいい。

ここで私の目標は本来ならばより高く世界へ向くはずなのだが、よりによって国内へと、そしてさらに絞られたカテゴリーである大学生の全国大会(インカレ)の優勝になった。2011年、大学3年生のときであった。このとき、この大会で優勝しなければオリンピックの出場自体を諦めようと思うほど強い目標であった。そして目標通りに私は優勝することができた。そしてこう思うのである。

「オリンピックに出られる」と。

これがアスリートに必要な資質ではないかと思う。
もちろん、インカレに優勝することがアスリートにとって必要な資質ではない。
私はインカレに優勝することで明確な自信を得ることができた。
この自信というものが大事なファクターなのだ。何だっていい、腹筋を毎日100回続けたというのでも毎日10km走ったというのでも、毎朝5時に起きたというのでも。それで勝てるという自信を持つ、それ以上の強さはないのだ。

冒頭にも述べたが、私は運動があまり得意な方ではない。
しかし、マグレの結果による錯覚から生まれた「節目に勝つ」という一種の習慣のような思考はアスリート人生において大きな武器となっている。なぜなら、強くなる上で地図のような役割を果たすからである。この地図を持つことで、他の運動神経や体格に恵まれた選手達に一矢報いることができるのだ。これが世に言う、腹をくくるということや覚悟をするということだと私は思う。
もちろん簡単なことではない。なぜなら自分を納得させなければならないからだ。そうすることで練習の質が上がり強さへと繋がっていくのだ。アスリートには私のように運動神経が人より劣る方や人より体格に恵まれていない方はたくさんいるが世界と対等に戦っている。それは才能によるものだけでなく、自分を納得させる取り組みをし続けているということを忘れてはならない。

2020年の東京オリンピックを見つめて選手たちは動き出している。
だが、私はその前にシニアの全日本選手権で優勝することに心血を注ぐだろう。
そうでなければ私はオリンピックを見ることができないのだから。

これがアスリートにとって大切なものであると信じて。

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