「脱いだ靴を揃える」

平岡拓晃

筑波大学 / 柔道男子60kg級

私は小学校1年生の時に柔道を習い始めた。一番初めに教わったのは、受身でもなく、得意技の背負投でもなく、「自分の脱いだ靴を揃える」ことだった。これがただの所作ではなく、“柔道”であると気づいたのは23歳、北京五輪で敗戦し絶望に暮れていた時だった。

私は2012年ロンドン五輪柔道男子60kg級において銀メダルを獲得したが、人生を変えた試合をあげるとすればそれは2008年北京五輪である。私は、当時五輪4連覇を狙っていた野村忠宏さんの対抗馬として予選に挑み、北京五輪の代表権を勝ち取った。「あの野村選手を退けた若手」として一気に注目を浴びたが、結果は五輪初戦敗退。柔道の日本代表として、出場することがどれほど大きなことか理解し覚悟はしていたが、敗戦後は想像を超える批判が私を待っていた。

「平岡拓晃 恥」。インターネットで自分の名前を入力するとこう出てきていた。五輪前「応援しているよ」と私に声をかけてくれた人の中には去っていく人も少なくなく、しばらくは、毎晩北京五輪の試合の夢を見た。競技から離れたいと何度も思い、柔道着を着ることができなくなり、時間のみが過ぎていく生活だった。しかし一つのことだけは自然とできていた。それは、「靴を揃える」ことだった。先生は「自分の使っている武道館や物も大事にして感謝の気持ちを忘れないように。それも大切な柔道の練習ですよ」と子どもたちに常々語っており、自分の脱いだ靴を揃えることもその一つだった。柔道をする気にはなれなくても、無意識にその行動をしているときに、競技に関わってきた年月と重さを再確認することができ、批判ばかりでなく、応援してくれていた方への感謝の気持ちが溢れてきた。「ロンドン五輪で金メダルをとってその思いに応えたい」。それと同時に、それまで避けていた自分への批判に全て耳を傾けて目を通し悔しい気持ちを心にため込み、苦しい時の励みにした。

迎えたロンドン五輪では金メダルには届かず試合直後は悔しい思いだったが、表彰台に上がった時胸に込み上げてきたのは感謝の気持ちだった。それも応援してくれていた方々だけでなく、批判を言った方々に対してもお礼を言いたい気持ちだった。決して嫌味ではない。どちらが欠けても今の私はいなかったと心底思う。この両方のお陰で苦しい時も乗り越えて来られたと思うと、表彰台に上る時は自然と笑顔が出て全ての人達への感謝の気持ちでいっぱいだった。「靴を揃える」という初めに教わった“柔道”がどれほど大切なことだったか。北京五輪を経て二度と味わいたくない思いもたくさんしたが、それ以上に感謝する気持ち、人に支えられてこその自分だということを体感した。これから社会に出ればまた新たな困難にも出会うだろうが、結果には現れない自己の成長が付いてくることを信じ、「靴を揃える」ことを怠らずにこれからも精進していきたいと思っている。

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